2015年5月13日水曜日

ご連絡

いよいよ、先日のブログを書いた直後、携帯が寿命と故障で使えなくなりました。
のでTELと携帯メールができない状況でございます。
ここのメールかpcメール、facebookでご連絡いただけたら嬉しいです♪

面白い事になってきました♪
では今日も良い一日を!!
namaste

2015年5月11日月曜日

mothers...day ♡

母の日。
産まれて初めて、母の日にプレゼントを贈る側ではなくもらう側に。
台所で作業していると、突然、夫と息子が(息子はだっこされて強制だけれども)とっても素敵な色のカーネーション3本差し出してくれて、いつもありがとうと言ってくれた。
息子の手に握られた花束がものすごく小さいのだけれど、巨大に見えてそのうちうるうる来てしまって本当に沢山、嬉しさがこみ上げてきた。
その中に、紫色のカーネーションがあって、突然夫が、「この花言葉は永遠の幸せ、です。」とぼそっと言った。
話は変わって、我が家に有る巨大なガラスの花瓶を洗面台に誤って落とし、
巨大なひびができて、ものすごく巨大な水漏れが。巨大という言葉がマイブーム。
下からガムテープで張って応急処置をしていたけれど、いよいよ隙間が、どんどん巨大な隙間になってきて、「使用禁止」の紙を張った。それを見るのは夫だけだけれど。
TOTOのものなので、多分取り替えるとしたら巨大な修理費用がかかるに違いないと、色々巨大な妄想を。そろそろしつこいな。
火災保険に入っているため、それでまかなえるか聞いてみよう。この話に落ちは無いけれど、以後どうなったか乞うご期待!
私は、最近、LINEもやめて、Instegramもやめた。
そして我が家のTVも壊れて映らなくなり(映像は映るけれどTV関係は全くダメ)、いよいよ今度は何が来るかな?と思った矢先、私のiphoneの調子がすこぶる悪くなってきて、いきなり電源切れるし通話は途中で聞こえなくなって、かずみちゃんとのTelも「ん?もしもし」「どこまで聞こえた?」「全部きこえない(笑)」みたいな、ドリフのような会話になるし、私の思考というか日々考えているインスピレーションはどこまでの巨大なエネルギーが影響しているのか、ワクワクしてきた。
いっそのこと携帯電話をやめて、このPCだけで暮らせたらどんなにすっきりして楽だろう。富と宇宙と心の法則 を思い出した。
skypeやfacebook(最近、とっても興味が無くなったので全く見ていないけれど)のメール機能やTel機能で、もしかしたら生きて行けるかも。と、思ったり、日本に帰国していたひとみちゃんとそんな会話してたな、とか思い出したりしている今日この頃。

今の生活が、どんどん楽しくなってきていて、自分が理想していた生活環境に近づいてきていて、それは物を持つ環境ではなくて例えば自然にとても近い所でどうやって暮らして行くかとか、夫や息子と一緒に自分の今世でいかに深い所で繋がって行くかとか、大切な人とどうやってシンプルに宇宙の神秘生と繋がりながら生きて行く、とかそういう事を望むようになってから、面白い程にそういう状況が作り出されている。




2015年5月1日金曜日

may 2015

息子が産まれる前から気になっていた幼稚園に見学へ。
ここはドイツのシュタイナー教育を実践している幼稚園で、教育がとても素晴らしいと感じていた。
一歩踏み入れたらやっぱりそこは別世界。住宅街の中に森を発見。
子供達はのびのびと土で泥遊びをしたり、上の子がちいちゃなしたの子を面倒みたりご飯を食べる前には手を合わせて歌を歌って恵みに感謝をしたり、みんな集まる時には鐘をならし優しい言葉で集合の合図をしたり、笛をぴろぴろ〜と鳴らしてお部屋へ入る合図をしたり、木や土、布や本物を取り入れて、電化製品やプラスチックなどはほとんどない生活をしながら魂のお勉強をしながら沢山の実践を。
教育熱心なある両親は車でわざわざ1時間くらいかかる所を送り迎えしている子の親が居る事をしって、とっても納得してしまった。
↓布オムツ一丁で立っている中央のboyが息子
1歳そこらでまだ、ハイハイしかできない息子をとっても嬉しそうに一緒に遊んでくれるお姉さんお兄さんを遠くから眺めていて本当に微笑ましく感じた。

子供同士で、繰り広げられる会話や、ふとした喧嘩や、そういうやりとりも、子供同士で接しているときは口を挟まず遠くで見ている事にしているんだけれども、
「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか、物を取られた時にとる態度とか、逆に友達にこれ、貸してあげる、という勇気を持った行動もできるのも、親が側で、
「ありがとうっていいなさい」とか「ごめんなさいでしょ!!」とか、よく聞くけれども、全て親の背中をみていたりそういう集団行動で子供なりに少しづつ覚えて行くと思うし、その時に親が相手の体裁を考えてする間違った行動や、どこまで突っ込んで良いか、の線引きはきちんと自覚していなければならないと、心から最近そう思う。
例えば、はずみとか挨拶替わりに、ほんのちょっと叩いたからって、「ごめんね!ごめんね!ほら、ごめんなさいでしょ!ごめんなさいって言うんでしょ!」って、たまに見かけるけれども、、、

ほっときゃいーーーのよ!子供同士で解決できんだから!

色々な事情で、私も本当に子育てって難しと感じるけれども、毎度、はっと気付かされているのは私の方で、子供は何でも知っているんだと、本当に私を大人にさせてもらっている気がしてならない、そしてとっても楽しすぎてどうしましょう!という今日この頃。